庶民巡礼の根底にあった思想に学ぶ

熱気に包まれた森清範猊下の法話会場

熱気に包まれた森清範猊下の法話会場

日本での「巡礼」の原型は、西国三十三所巡りにあります。伝説では奈良時代に始まったとされ、史実としては平安時代後期に三井寺の高僧が巡礼したのが始まりとされています。鎌倉時代までは、プロの宗教家のための修行の一環でしたが、室町時代頃からは寺院に所属する案内人(先達)に率いられ、庶民も巡礼に参加するようになりました。寺院側にとって、庶民の巡礼は信仰の広がりを促せることから喜ばしく、それを大いに勧めたのです。しかし、江戸時代には幕府の政策で寺院の経済活動が制限され、庶民は自分たちだけで巡礼に赴くようになります。とくに、農民が農閑期に巡礼することが多くなり、それを共同体が奨励し費用の対策まで講じることさえありました。元禄と文化年間には、西国三十三所だけを見ても、全国から年間に3万人規模の人が巡礼をしたとされています。そして、「写し霊場」も含めれば、誰もが生涯を通じて、一度は巡礼に赴くような状況が当時、生まれました。

ところで、江戸時代に庶民の巡礼が盛行した大きな理由や背景は何だったのでしょうか。考えてみるに、一つは、交通網の発達とともに農産物の生産性が向上して、農民層が土地を離れて旅をすることが容易になったこと。またもう一つには、観音信仰が庶民の間で大流行したこと。さらには、それとも関連しますが、庶民の精神性に、贖罪思想や地獄思想が根強く存在していたことが、庶民巡礼盛行の大きな理由や背景だと考えられます。中でも「地獄思想」は、自らの行動を律する処方として機能したことをはじめ、世間の不条理を克服する心の方便としても有効だったはずです。

現代において、地獄の存在を信じる現代人はまずいません。祖先たちも100%信じていたかどうかはわかりません。しかし、祖先たちは人生を生きる知恵として、地獄思想を有効に活用したことは疑いないのです。現代人が、地獄思想の真価に興味をもたないのは、少しもったいないような気もします。

折しも、今年は西国三十三所の草創1300年にあたります。奈良時代のことですが、長谷寺の住職だった徳道上人が地獄の閻魔大王に招かれて、地獄と現世を往還したという説話がその基になっています。西国三十三所札所会では2年前から草創1300年の記念行事を展開しています。2月16日に本サイトでお知らせしましたが、その一環である「西国三十三所巡礼in名駅」がいま、まさに名古屋で開催されています。2月24日(土)の初日は特別拝観となり、清水寺の森清範猊下が揮毫と法話されました。本欄で紹介している写真は森猊下の法話の様子です。左に書かれている記号は「観力」です。また、おこがましくも右の壁面にあるのは、五叟の西国三十三所画の一部です。

私たち祖先が志した「巡礼」の価値や意義は、決して失われていません。「いのち」や「いきること」の意味を、想像を逞しくして問うことで、日々の心はさらに磨かれていくのではないでしょうか。「西国三十三所巡礼in名駅」の会期は3月2日(金)までとなっています。

五叟の西国三十三所画が会場に展示され好評でした。

五叟の西国三十三所画が会場に展示され好評でした。